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「無人運転」の実用化で世界はどう変わるか

2013年12月3日火曜日

■「自家用車」が消え「交通サプライ」へ
自動運転は、昔から交通工学の夢ではあった。昔から各種のSF映画を見ても、自動運転の車が行き交うのは未来都市のイメージの1つの典型となっている。そして、それを正当化する理由もたくさんある。
人間のミスが引き起こすトラブル――ほとんどの事故や渋滞――はなくなるはずだ。渋滞を引き起こす無意識の速度低下もなくなる。車に伴う大きな問題である駐車は、運転手がいなければ車が動けないために発生するものだ。でも車が勝手に動けるなら、運転手が仕事でも買い物でもしている間、車は自分で遠い駐車場に勝手に移動して、呼び次第戻ってくるようにできる。駐車問題も大幅に緩和されるだろう。そして人々は、運転という気疲れする作業から解放されて移動時間を有効に使えるようになる。これが全面的に導入されれば、GDPの1~2%くらいはメリットがあるはずだ。
だから何度もそれを実現しようという試みは世界中で行われてきた……のだが、実験段階や実証実験レベルを超えてそれが導入されたことはない。世紀の変わり目前後にはアメリカはすでにこの技術に見切りをつけたという話も耳にした。また第二東名に自動運転レーンを導入するという噂も流れていたが、最近はそうした話もきかなくなっていた。
だがそこへグーグルが自動運転の話を蒸し返し、自動運転が突然息をふきかえしたのには驚いた。というのも、自動運転が実用化にまで到っていない大きな理由は、必ずしも技術的な問題だけではなかったはずだからだ。
当時、大きな問題点として言われていたのは、まず責任問題。万が一事故が起きたとき、それはだれの責任になるのか? 自動運転を管理していた人なのか、その車の持ち主なのか? 自動運転もいろいろ流派がある。グーグルが最近やっているものは、車が単独で知恵を持つものだ。その場合、何かあったら責任はすべて自動車メーカー(またはソフトメーカー)が負うのか? あるいは道路が車に指示を出すやり方もある。この場合、運転ミスによる事故はないかもしれない。だが自動運転の車が故障したら? 整備不良があったら? 整備不良が悪いのか、そんな車を自動運転の車両群に受け入れた交通管理者が悪いのか?
また、今の車は基本的には、運転手に何かあれば(アクセルから足を離せば)停まる。何かあった場合のフェイルセーフがあるわけだ。が、札幌から福岡まで自動運転の車の中で運転手が倒れたら、ヘタをすると福岡に着くまで何もわからない。

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