フィリピン在住17年。元・フィリピン退職庁(PRA)ジャパンデスクで、現在は「退職者のためのなんでも相談所」を運営する志賀さん。今回は、志賀さんの仕事の相棒ジェーン家の玄関に捨てられ、その家族として成長した少女・ビアンカの物語です。
1998年、私の仕事の相棒であるジェーンの家の玄関にダンボールに入れられた赤ちゃんが捨てられていた。母親が人に頼んで玄関に置き去りにしたのだ。名前も誕生日もわからない乳飲み子だった。
ジェーンの家には2歳なる長兄ダシンの子どもがいるだけだったので、さっそく家で育てることにした。とりあえずブランカ(白紙)と名づけたが、のちに、より一般的な女の子の名前のビアンカに変えた。色白で目の大きい可愛い子だった。
学校に入るにはちゃんとした出生証明がないと具合が悪い。そこでビアンカは母親(マミー)の子ども、すなわちジェーンの妹として届けられた。その後、長兄ダシンに長男、次兄アランに長女、次女、と次々と孫が生まれて、マミーの愛情も実の孫へと移っていった。そして、ビアンカの試練が始まったのだ。
小学校へ行くようになって、ある日、学校の先生から呼び出しがあった。全然やる気がなくて、他の子どもたちの迷惑になるから退学させたいというのだ。結局、留年の憂き目となり、農場の近くの学校に移してマミーと暮らすようになった。ビアンカは、他の子どもたちが実の親に可愛がられているのを見て複雑な思いを胸に秘めていたのだ。
ジェーンがビアンカを責めて、「いったいお前は何が欲しいのか」と聞いたら、ビアンカの答えは「Love」の一言だったそうだ。
学校を変わって農場で過ごすようになると、ビアンカは見違えるように変わっていった。2003~04年は私自身も農場で暮らしていた。そこは、マミーとジェーンの姪デバイン、ビアンカと私の4人暮らしだった。
ビアンカの役割は、豚小屋の掃除や鶏のエサやり、庭掃除や食事の後片づけと休む暇もない。デバインと二人で黙々と農場と家の仕事をこなしていた。
当時、マミーは何かあるとすぐに「デバイ~ン」と大きな声でデバインを呼んで仕事を言いつけていた。そして今、デバインが家を出て、16歳になったビアンカはいつもマミーに「ビアンカ~」と呼ばれて頼りにされている。
他の子どもたちが親の愛情を当たり前のように受けてぬくぬくと育っている間に、ビアンカはマミーを助け、思いやりと責任感のある、子の鏡ともいえるほどの良い娘に育っていった。…
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