「1年中365日、アキュラのことだけを本気で考える人を張り付けて、アキュラブランドをゼロから再構築する」──。4月に四輪事業本部長に就任したばかりの野中俊彦・常務執行役員は力を込める。今回の体制変更で、アキュラ部門をホンダから完全に独立させる。まずは、日本、米国、中国の3地域にアキュラの専任組織を設置する意向だ。
この動きに先行して、4月から、主戦場の米国法人では、セールス組織をホンダとアキュラの二つのブランドに分割した。営業・マーケティング機能に限った話だが、すでにアキュラ部門の独立への布石を打っていたのである。
ホンダでは、これまで生産や購買、販売などの各プロセスで、各担当者がホンダブランド車とアキュラを兼務していた。そのため、「ともすれば、ホンダブランドの機種で余った経営資源をアキュラに回す」(野中常務)ことがまかり通っていた。アキュラ部門を独立させることで、経営資源を別々に配分する。
アキュラのビジネスを再構築する方針に従い、役員の体制も変更する予定だ。アキュラ事業と燃料電池車事業を兼務して、"二足のわらじ"を履いていた福尾幸一・専務執行役員はアキュラに専念。新たに、三部俊宏執行役員が燃料電池車事業を引き継ぐ。
レクサスに水をあけられたホンダが米国初の高級車ブランドとしてアキュラを誕生させてから28年。2013年のアキュラの世界販売台数は、米国、カナダ、メキシコ、中国などを合計しても、19.1万台にすぎない。
競合のトヨタ自動車は、ホンダに3年遅れて高級車「レクサス」を米国で立ち上げた。レクサスは13年に販売台数を過去最高となる50万台の大台に乗せた。ホンダは大きく水をあけられたのだ。
高級車マーケットには、欧州ブランドがひしめく。そこで一定の地位を築くまでは、トヨタとて一筋縄ではいかなかった。レクサス快進撃の背景には、12年に従来のレクサス本部を「レクサスインターナショナル」へ改組したことがある。そこにデザインや設計、マーケティング機能などを統合し、仮想カンパニーに近い形とした。ガバナンスの面では、豊田章男・トヨタ社長による直轄体制とし、トヨタブランドとは一線を画した迅速な意思決定を図った。
福尾専務は、「(本体とは)独立した組織のレクサスインターナショナルの存在がうらやましかった」と言う。…
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