年明け以降、みずほフィナンシャルグループ(FG)には、そうした書き出しと共に、略歴書の入った封書がいくつも届いていた。
昨年の暴力団融資を巡る問題を受け、みずほがガバナンス(企業統治)の強化策として、委員会設置会社への移行作業を進める中、送られてきた封書の数々は、委員会メンバーとなる社外取締役の候補として手を挙げる、いわば「応募書類」だった。
決して公募をしたわけでもないのに、なぜか企業OBや金融当局OBからの書類だけは集まり、中には「他薦を装った自薦のような応募もあった」とFG幹部は苦笑いする。
一方で、佐藤康博社長は人選に向けて、そうした書類には目もくれず、「意中の人物」に早い段階から接触を重ねていた。
その意中の人物が、6月末の株主総会に社外取締役候補者として提示する、日立製作所前会長の川村隆氏であり、元経済財政担当相の大田弘子氏(取締役会議長)の2人だった。
「ピンポイントで、どうしてもお願いしたかった」
記者会見で佐藤社長がそう話したように、中でも川村氏起用に対する思い入れは、相当強かったといえる。
日立は11年前、上場企業の中で先陣を切って委員会設置会社に移行し、監督と執行を明確に分離する経営手法を長年実践してきた会社だ。
その中で、川村氏はリーマンショックで深い傷を負った日立の大幅な事業見直しに取り組んだ「改革派」であり、みずほの再生にとっての「最大の知見者」(佐藤社長)となり得る人だった。
その一方で、足元では川村氏が大本命とされた次期経団連会長の座を固辞したことが影を落としており、みずほの社外取締役就任の打診に、すぐには首を縦に振らなかった。
「CEOとして、改革に向けたあなたの覚悟とは一体何か」
川村氏と佐藤社長の度重なる会談は、さながら川村氏による面接試験のようだったが、改革に向けた不退転の決意を繰り返し訴えることで、最後は手を握ることにつながったという。
そうした経緯から、川村氏が取締役会議長になると想定していた人が、行内で少なくなかったとされる。
問われる改革の実効性ただ、みずほは、経財相時代に培われた高い調整能力を存分に生かしてもらうため、あえて大田氏を取締役会議長に据えた。今後は川村氏が重しの役割を果たしながら、社内外の取締役による「全員野球」で、ガバナンスの改革を推し進める方針だ。
その中で、みずほが目指す姿は大きく二つある。…
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