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青山に店舗をオープン! 新潟の老舗企業200年目の挑戦

2014年9月23日火曜日

■守るだけではダメ!伝統は革新の連続
「伝統とは革新の連続で、守るだけではダメなんです。老舗には変えるべきものと、変えてはいけないものがあります。長年培ってきた技術は変えてはいけなく、経営のやり方などは時代に合わせて変えていく必要があるのです」

新潟県燕市にある老舗企業、玉川堂は8月25日、東京・南青山の骨董通りに店舗をオープン。7代目の玉川基行社長はこう話し始めた。
同社は伝統産業の一つ、鎚起銅器の老舗で、創業は1816年、2年後に200周年を迎える。鎚起銅器とは、「鎚」で打って「起こす」銅器という意味で、無形文化財に登録されている。1枚の薄い銅板を金槌で叩きながら器にしていくのだが、その際、銅を叩いて伸ばすのではなく、叩きながら縮めていく。つまり、銅板をだんだんと厚くしていくのだ。
ただ、銅は一度叩くと硬くなるので、火の中に入れ柔らかくしながら叩く必要がある。その作業を形状の完成までに約20回も繰り返すそうだ。しかも、1回1回金槌と烏口と呼ばれる鉄の棒を変える。その数は金槌が約200種類、烏口が約300種類もある。もちろんそれらは一つひとつ形が微妙に違う。
そして、形が完成すると、着色を行う。それは色を塗るのではなく、銅に錫を焼き付け、硫化カリウムなど天然の液体につけ込む。すると、化学反応を起こし、銀色や紺色などに変色するのだ。この着色方法は4代目の覚平氏が考え出した方法で、世界でも行っているのは玉川堂だけだという。
「現在、鎚起銅器をつくっているところはこの燕だけで、しかもその業者はすべてうちから独立した人間がやっているんです」と玉川社長は説明する。
■自分たちで作り、自分たちで売る
玉川社長は1995年に大学を卒業し、玉川堂に入社した。当初、他の会社に就職しようと考えていたが、父親である6代目の政男氏から「うちの営業に入って、家業を手伝ってほしい」と頼まれたそうだ。

当時、バブル崩壊の影響で、美術品的要素の高い商品が売れず、売り上げが3分の1にまで減少していた。そこで、玉川社長は贈答品や記念品に依存していた商品構成を見直し、原点回帰をする決心をした。つまり、江戸時代に主力だった実用的な商品、やかんや鍋などをつくろうと考えた。
と同時に、流通システムの改革に取り組んだ。というのも、それまで同社の商品は2軒の問屋を通して百貨店などに納入されており、その結果、価格が1.5倍にも跳ね上がっていた。

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