1980年、日本の成熟時代の始まりとともに〝わけあって安い〟というコンセプトで誕生したブランドが無印良品だ。ナショナルブランドの無駄を省き、シンプル、ナチュラルといった時代を先取りするキーワードを体現することで成長してきた。その無印良品もいったんは停滞する時期を迎え、ブランドの継続の難しさを露わにした。ブランドの立て直しと再成長について、松井忠三・良品計画会長に話を聞いた。
成熟時代のキーワードを先取りして商品化-- 無印良品のブランド誕生の背景は。
松井 無印良品は、1980年に西友のプライベートブラント(PB)として、40アイテムで誕生しました。
背景として、73年の第1次石油ショックで高度成長が終わり、79年の第2次石油ショックで日本は完全に成熟時代に入りました。そこで流通会社の戦略は、ナショナルブランドより3割安く作るPBに向かいました。ところが今のように一流メーカーがスーパーのPBを作ってくれる時代ではなく、各社のPBはうまくいっていませんでした。後発のわれわれは、先行する各社の苦戦を見ながら、少し発想を変えなければいけないという意識がありました。そこで、消費者の意見をたくさん聞きながら、ブランドを創り上げていきました。
具体例として、まず「マッシュルーム」の缶詰があります。荻窪の西友のテストキッチンコアの主婦の意見で、「マッシュルームは10%捨てている」というものがありました。マッシュルームのキノコ型の部分だけを使って、端の部分は業務用に回っていて、要は捨てているのと同じことでした。そういう意味で、素材を見直していこうという発想が生まれました。
それから「割れしいたけ」の例があります。通常の干ししいたけは大きさを分けて正規品だけが製品になりますが、消費者の意見では、スライスして使うものだから大きさは関係ないと。それなら割れしいたけも含めて売ることができ、価格は非常に安くなります。このように製品の工程の点検も行いました。また、「詰め替えティッシュ」の中身だけを販売するなど、包装の簡略化も行いました。
こうして、基本的に品質と機能は犠牲にせず値段を安くする「わけあって安い」というコンセプトが生まれました。
もう1つ、「モノしか見えないモノをつくる」ということが発想の原点にあります。例えば、われわれの商品で、「洗いざらしのシャツ」がありますが、これは白色で、綿で、アイロンも糊もかかっていない商品です。…
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