「理不尽」という言葉の本当の意味を知ったのは、社会人になってからだった。オカシイことを指摘すればする者ほど、会社での居場所を追われ、益々不条理な目に遭うのは目に見えている。だが、自分の信念を貫こうとすることはそんなにも悪いことだろうか。自分が納得するまで、仕事や会社と向き合うことはいけないことだろうか。
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清武英利著『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社)は、第36回講談社ノンフィクション賞を受賞した話題作。1997年、自主廃業した山一證券に最後まで残り続けた12人の社員の姿を描いた作品である。「しんがり」とは、負け戦のときに、最後列で敵を迎え撃つ者のこと。「社員は悪くありませんから!」という社長の絶叫記者会見の前後、多くの者が慌てて再就職先を探す中、なぜ「しんがり」達は、会社に踏み留まって経営破綻の原因を追及しようとしたのか。他の証券会社と同様に、山一証券が会社更生法などで救済されなかったのはなぜなのか。これは単なる昔話ではない。今もどこかの会社でも水面下で起こっている問題なのではないかという気がしてくる。
12人のしんがり達はどの者も皆、不器用だ。社会で成功するのは、単に能力があるというだけでなく、いかに人の懐に潜り込めるかが鍵となる。だが、しんがり達は、実力はあるものの、上司とのコミュニケーションが円滑に行なえなかったため、思うようには出世できなかった。理不尽なことを理不尽だと指摘するだけでつまはじきにされた者がなぜ、しんがりの道を選んだのだろうか。会社が2,600億円の簿外債務を抱えていたことすら知らなかった者が、債務隠しの究明にあたり、会社の幕引きの責任者となっていく。
「会社の破綻なんて人生の通過点に過ぎないよ」「潰れたって、何とかなるんだ」。彼らは自らの納得するまで沈んでいく山一証券と向き合おうとする。誰もがやりたくはないであろう仕事を投げ出さずに引き受けて、自分の中で型をつけようとする。その姿に、会社員とは一体何なのか考えさせられることだろう。
会社で働く毎日の中で、怒りや虚しさは絶えない。筋を通そうとする12人の「しんがり」達の姿勢に共感させられる。この本を読んでいると、どのように企業が壊れていくのかを知ることができるだけでなく、明日からの会社員生活、もっと自分が納得のいく仕事をしたいと思う。
これは山一証券だけではなく、どの企業にもあり得そうな話である。
文=アサトー ミナミ
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清武英利著『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社)は、第36回講談社ノンフィクション賞を受賞した話題作。1997年、自主廃業した山一證券に最後まで残り続けた12人の社員の姿を描いた作品である。「しんがり」とは、負け戦のときに、最後列で敵を迎え撃つ者のこと。「社員は悪くありませんから!」という社長の絶叫記者会見の前後、多くの者が慌てて再就職先を探す中、なぜ「しんがり」達は、会社に踏み留まって経営破綻の原因を追及しようとしたのか。他の証券会社と同様に、山一証券が会社更生法などで救済されなかったのはなぜなのか。これは単なる昔話ではない。今もどこかの会社でも水面下で起こっている問題なのではないかという気がしてくる。
12人のしんがり達はどの者も皆、不器用だ。社会で成功するのは、単に能力があるというだけでなく、いかに人の懐に潜り込めるかが鍵となる。だが、しんがり達は、実力はあるものの、上司とのコミュニケーションが円滑に行なえなかったため、思うようには出世できなかった。理不尽なことを理不尽だと指摘するだけでつまはじきにされた者がなぜ、しんがりの道を選んだのだろうか。会社が2,600億円の簿外債務を抱えていたことすら知らなかった者が、債務隠しの究明にあたり、会社の幕引きの責任者となっていく。
「会社の破綻なんて人生の通過点に過ぎないよ」「潰れたって、何とかなるんだ」。彼らは自らの納得するまで沈んでいく山一証券と向き合おうとする。誰もがやりたくはないであろう仕事を投げ出さずに引き受けて、自分の中で型をつけようとする。その姿に、会社員とは一体何なのか考えさせられることだろう。
会社で働く毎日の中で、怒りや虚しさは絶えない。筋を通そうとする12人の「しんがり」達の姿勢に共感させられる。この本を読んでいると、どのように企業が壊れていくのかを知ることができるだけでなく、明日からの会社員生活、もっと自分が納得のいく仕事をしたいと思う。
これは山一証券だけではなく、どの企業にもあり得そうな話である。
文=アサトー ミナミ
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