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ソフトバンクの拡大戦略を 支えた笠井氏死去の損失

2013年11月6日水曜日

 ソフトバンクにとっては、大きな精神的な支えを失った。笠井和彦取締役が10月21日に死去した。享年76。

 笠井氏は、1959年に富士銀行(現みずほ銀行)に入行後、為替のスペシャリストとして名をはせた。同行副頭取や安田信託銀行(現みずほ信託銀行)会長を経て、2000年にソフトバンク取締役に就任。以後、「金庫番」として財務全般を担ってきた。

 福岡ソフトバンクホークス球団社長兼オーナー代行として、常勝球団を率いてきたが、時価総額国内2位になったソフトバンクの成長を語る上で欠くことのできない存在でもある。

 ソフトバンクの真骨頂は、言うまでもなく孫正義社長の買収戦略にある。特に2000年以降は、04年の日本テレコム買収(3400億円)、06年のボーダフォン日本法人買収(1兆7500億円)、12年の米スプリント・ネクステル買収(1兆8000億円)など、巨額買収が相次いでいる。

 資金は、手ガネではなく、まず借入金で賄うことが多かった。財務が不安視される中、レバレッジ(テコ)を利かせることで大型買収を手がけることができたのだ。海外や個人向けに高金利の社債も発行し、苦しい資金繰りをしのいできた。この点で、みずほグループと縁が深く、財務知識にも秀でた笠井氏の貢献は大きかった。

 孫社長のぶち上げる構想の実現を、笠井氏と同時期に安田信託から移った後藤芳光・ソフトバンク常務執行役員財務部長と共に実行面で支え、今では「最強の財務」といわれる部隊を育て上げた。

 孫社長よりも20歳年上の笠井氏は、時に孫社長のブレーキ役にもなっていた。

孫社長のビジョンに共感

 週刊ダイヤモンドが11年に取材したとき、笠井氏は孫社長についてこう述べていた。

「孫社長は、直感的で大胆な面を持ちながらも、データ分析を極めて重視し細心の注意を払う面があります。ボーダフォン買収も徹底的な議論があったからこそ、これはいけるとなったのです」

 それも、孫社長の掲げる「モバイルインターネット革命を起こす」というビジョンに共感していたからだ。

「われわれは既成の概念にとらわれない新たな市場分野をつくっていきたいのです。通信キャリアにとどまるつもりもありません。キャッシュフローのコントロールをきちっとして身の丈に合った投資を考えながらも、インターネットをベースにしつつ見る角度によって異なるような、そんな万華鏡のような事業展開をしたいと思います」(笠井氏)。

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