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『永遠の0』岡田准一は「薄給」使い捨てだった

2014年5月8日木曜日

■日本軍の給与にみる、今なお続くニッポン学歴主義
ベストセラー百田尚樹氏の『永遠の0』を読みながら、私が気になったのは給与だ。「主人公の宮部久蔵は現場叩き上げの人間であり、高い給与をもらっていなかった気がするが、果たしていくらだったのだろうか?」(編集部注:本作は映画化され、主人公・宮部を俳優・タレントの岡田准一が演じている)。
疑問を抱いていた時に手に入ったのが『名古屋陸軍造兵工廠史 陸軍航空工廠史』(名古屋陸軍造兵工廠記念碑建立委員会発行)という本だ。
パラパラめくっていていくと「軍人給与」(昭和20年)という項が目に入った。
軍人の給与は、「月額俸給」(基本給のようなもの)のほかに「戦地増俸月額」(満州・朝鮮・台湾など地域ごとに決定)「出戦手当」「死亡賜金」が出ていたようだ。

 

本を読み終えた私の感想は、60年以上も前の軍人給与の仕組みは、現代もそのまま続いているのではないか、ということだった。
その給与は、職階ごとに決められていた。上は大将・中将・少将から、下は二等兵まであった。驚いたのは、二等兵の給与の低さである。
二等兵は甲と乙があり、乙の人は、月額俸給が6円でしかない。それに「戦地増俸月額」が赴任地によっていくらが付く訳だが、「出戦手当」はナシで、「死亡賜金」はたった150円しか付かなかった。この二等兵が頑張って活躍して軍曹に昇進したとしても、月額俸給は26円でしかない。
■「兵隊あがりの少尉」は月給70円(理髪20回分)ももらえない
『永遠の0』の主人公の宮部は海軍だったから若干違うかもしれないが、宮部の給与がいくらだったのか想像してみよう。
宮部は大正8年生まれ。久蔵の父は相場に手を出して失敗して首を吊った。母も病死。おかげで宮部は経済的理由で中学校を中退。カネもなく、身よりもなく、昭和9年に海軍に16歳で入隊した。
海軍の下士官は当時、口減らしで入った人が多かった。久蔵は最初、海兵団に入り兵器員となり、次に操縦訓練生(操練)になってパイロットになった。「操練」は一般の水兵から航空兵を募ったものだ。飛行訓練を経て最初に配属されたのは横須賀航空隊。宮部は昭和12年の日中戦争に、戦闘機のパイロットとして参加するなど腕を上げた。宮部は真珠湾攻撃に参加して、空母赤城の搭乗員だった。搭乗員の技量が高いのは、空母赤城と加賀に乗っていて第一航空戦隊と言われたので、まさにエースパイロットだった。

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