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度々の挫折に、涙した夜 -キリン 執行役員 坪井純子さん【1】

2014年5月28日水曜日

■男女関係なく挑戦できた
今年に入ってからだったと思います。キリン株式会社とキリンビール株式会社の社長を兼務する磯崎(功典)から「ちょっといいかな」という感じで呼ばれました。何の件かと思案しながら社長室に入ったのですが、そこで執行役員就任の内示を受けました。
女性がキリングループの執行役員になるのは"初めて"といわれています。また私自身これまでにも何度か"女性初"といわれた経験があります。1985年に入社した時、女子総合職として初めて製造部技術課に配属され、97年には経営職(管理職)になり、2010年には商業施設の横浜赤レンガ(本社横浜市)で社長を務めました。
けれど、自分ではあまり女性ということを意識してきませんでした。女性がまだ少ない時代、むしろ上司であった男性リーダーや先輩、周囲の方々のほうがいろいろな意味で大変だったことが多いのではないかと思います。男女関係なく叱るときは叱り、チャンスがあればいろいろなことに挑戦させてくださったこれまでのリーダーや先輩たちにとても感謝しています。
これからは性別はもちろん、年齢、国籍、学歴、グループ内であれば出身会社など関係なしに、誰にでも同じようにチャンスがあるべきだと考えます。そうでなければ、激しい経営環境の中で会社は成長できないし、生き残れません。
キリンは多くの日本企業と同じようにダイバーシティー(多様性)を推進しています。女性の経営職を増やしていく数値目標もあります。女性が働き続けるうえで様々なライフイベントの支援など、企業や社会ができることがまだたくさんあると思っています。
一方、経営職の数など数値の達成だけを目的化してしまうのは違うと思います。「多様性はイノベーションを生み出す」。これがキーワード。異なる価値観や文化がぶつかることで新しい発想や価値が生まれることこそが、多様性の本当の意味だと思っています。
■10代、20代は挫折だらけ
いい環境で働いてきた私ですが、若い頃から挫折だらけでした。子供の頃は宇宙飛行士か宇宙ロケットの開発者になりたいと思っていました。小学6年生で観たテレビアニメの「宇宙戦艦ヤマト」が一つのきっかけでしたが、中学生時代はアインシュタインに興味を持ち、宇宙への憧憬は大きくなっていきました。「(親元の)広島を離れるな」という親の反対を押し切り、大学は東京大学理科一類に入学。将来は夢の夢ですが、NASA(アメリカ航空宇宙局)で働きたいと考えたこともあります。

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